親の学校子育てコラム
その子育て、あなたをもっと悩ませていませんか?
子育てのリバウンド
ダイエットのリバウンドはよく聞きますよね!ダイエットによって減った体重が、短期間で元に戻ったり、ダイエット前より体重が増加することです。
「子育てのリバウンド」とは、ダイエットのリバウンドの子育て版!
子育てや子どもとの関係に悩んだお母さんが、育児本を読んだり、ネットでの情報を検索しまくったり、ママ友からの情報などで、一時的に気持ちが楽になって、子どもに優しくなるものの…一週間もしないうちに以前のお母さんに逆戻り!更に、以前にも増して子どもとの関係に悩んだり、子どもに嫌悪感さえ抱いてしまうこと。
「子育てのリバウンド」は、子どもに優しくなる人ばかりではなく、一時的に子どもへのしつけが厳しくなり、その後、あきらめたように放任になる場合もあります。
そして、これは何度も何度も繰り返されます。
この頃のお母さんは本当に辛い!
親の自己肯定感を奪う子育てのリバウンド
最初のうちは、子どもの寝顔を見ながら反省してみたりで済まされていたものが、回を重ねるうち、子どもの年齢が上がるにつれ…こう考えこむ癖がつきます。
「この子じゃ無理」
「わたしがこれだけ頑張ってもうまくいかないのは、子どもが悪いから!子どものせい!」
そして、「なぜ子どもが悪いのか」の裏づけをするため、子どもの直したほうがいいと思う面ばかりを無意識に探すようにもなります。
罪悪感の中、自分を保つのが精一杯!それに加え、毎日の家事だって待ってくれません。
「子どもが悪いから」そう自分を納得させることで、お母さんの心は一時的に落ち着きを取り戻します。 でも、心の奥底では「これじゃいけない!」と人一倍感じていて、いつも助けを求めています。
でも、どうすればいいのか分からない…でも、なんとかしなくては…
そして再び、「子育てのリバウンド」をし、つねに「不機嫌な子育てに」悩まされることになります。
そしていつしか、自分の子どもへの愛を疑うようになります。
自分の子どもが愛せない…そんな風に感じる自分は人間的に劣ってるんじゃないか…お母さん自身の自尊心が失われていきます。
これは、人として、本当につらいことです!
そんなお母さんの苦悩に振り回された子どもは…
お子さんが幼い場合、それでもお母さんを求めてくるでしょう。
でも、子どもの年齢が上がるにつれ、親の手を借りなくても子どもが何でも出来るようになるにつれ、「うちの親に言ってもダメ」「どうせ私の話はきいてくれない」「親に何か言うと面倒臭いから無視してる」こんな風に、あなたは子どもから〝親をクビにされる〟かもしれません。
一緒に暮らしてはいるけれど、そこに信頼関係や絆はありません。
そして、子どもから親をクビにされたのにも気づかず、無視する子どもに小言を言い続けていく悲しい現実…。
残念ながら、多くの家庭で「子育てのリバウンド」が起こっています。
私自身も「子育てのリバウンド」に悩まされました。
では…なぜ、「子育てのリバウンド」を起こしてしまうのでしょう
どうしたらこの悪循環から抜け出せるのでしょうか?
「子どもとの間に信頼関係や絆を作るためには、日頃からの接し方が大切!」これは多くの人が頭では分かっているであろう基本的な事実。その接し方を何とかしたいと、色々と情報をかき集めるわけです。
しかし、残念ながら、あなたの見たり聞いたりしている情報の多くは、子どもとのコミュニケーションを円滑にするための「断片的な情報」であったり、「コツ」でしかないのです。
それはまるで、車の運転の仕方を知らない人に「この車は音が静かだから運転してごらん」と言っているようなものです。
運転の仕方を知らないのですから、この車が静かだと分かる前に事故を起こすか、もし運転が出来たとしても、運転だけで精一杯で車の音なんて気にしている余裕はないかもしれません。
コミュニケーションの基本は「聞く」と「話す」
- 「聞く」…子どもが自分の問題を自分で解決できるように手助けする聞き方
- 「話す」…親の感情が子どもに伝わる話し方
この「聞く」と「話す」をしっかり学び、そして、どんなときに聞くのか、どんなときに親の気持ちを話すのかを知ることで、これまで情報に踊らされていた人生から、情報を選んで自分で工夫することが出来るようになります。
「子育てのリバウンド」「不機嫌な子育て」にさよならする事ができます。
私自身、「子育てのリバウンド」「不機嫌な子育て」で苦しい時期を経験しています。
そして、そんなトンネルを抜け、今、インストラクターとして活動するにあたり、当時の自分と同じよな気持ちで子どもと関わっているであろう多くの親に、ぜひ、その悪循環から抜け出してもらいたい!
心からそう思って活動しています。
※「子育てのリバウンド」とは
「不機嫌な子育て」同様、親業を学ぶ前の苦しかった自分、その頃の行き当たりばったりの子育てを表現した造語です。